自然療法の「栄養セラピスト」になろうと思った経緯、の後半です。
●自然療法の「栄養セラピスト」になろうと思った経緯、の後半です。
こんにちは。自然療法の栄養セラピスト、キンロス一美です。
さてさて。
自然栄養セラピストにも、自然医療にも、程遠い、そんな私の「過去」を打ち明けます。の続きです。
6.一人暮らしになって、食生活は荒れ模様に。
前の夫と離婚後、娘と二人+わん一匹(例の“セレブ犬”健ちゃんです)暮らし。
時には、足の裏、丸見せ状態で、くつろいでいた模様です・・・。
その後、娘が、アメリカの大学に進んでからは、40代半ばから、一人暮らしagain・・・。その時点で、タガが外れた、って言うんでしょうか。もうもう、一にも、二にも、仕事、仕事、仕事!に、ますます磨きがかかった生活に突入!
東京のオフィスに3日間、大阪のオフィスに2日間、みたいな、東京と大阪を、頻繁に往復する生活。時には夜行電車で、東京から大阪に、取って返して、そのまま大阪のオフィスに、早朝出勤したり。海外出張も、かなり、ありました。
食事は、メチャメチャ、不規則。外食が多いし・・・。
実は、40代前半に、一度、電車の中で、倒れたことがあるんです。急に、頭に激痛がして、どんどん、酷くなる一方。「これは、蜘蛛膜下出血で、死んでしまうかも、」と思ったくらいです。でも、結局、回復して、また、元の生活に逆戻り。
新製品導入のイベントにて。
こ、こわい顔・・・かも。何よりも、見事な腕の太さに、我ながら、目が釘付け!
その後、ご縁があって、転職し、「100%東京暮らしagain」に。東京暮らし、楽しみました!
都心に住んでいたので、しょっちゅう、美味しいもの食べ歩き。しかも、遅くまで仕事をしてから出発、なので、帰ったら夜中。そうじゃない時は、やっぱり遅くまで仕事をして、帰りに、おりじん弁当とか、コンビニ弁当なんかを買って、ワイン片手に、テレビ観ながら、遅夕食。
この時期、さすがに、胃の調子が、パッとしなくなりました。病院で、強力な消化薬を処方してもらい、それが頼み。不規則食生活は、そのまま・・・。
それなのに、特に、気にもしていなかった!
7.突然の展開。日本での猛烈サラリーマン生活から足を洗う。
2005年の1月。今の夫が、突然、言い出したんです。
「お互いに50歳になる、今年、結婚しよう。」
と。
「はぁ~~~?!?!?なんでまた、そんなこと、今言うの!」
約、1年間にも及ぶ、慎重な検討期間の後、
「この会社で、定年まで頑張りたい!」
と決心して、転職して、一年も経たないタイミングだったんです。
「さあ、そろそろ、アクセル一杯踏み込んで、定年まで、突っ走るぞ!」
みたいな、年頭所感を発行した(いや、自分に言い聞かせただけですが)ばかりの時。
義理と人情の板ばさみに、苦しみました。約、半日間・・・。
<中略>
・私:「すみません、本当に申し訳ないんですが、急に、通勤が出来ない場所に、転居することになって、退職させて頂かざるを得なくなりました。
・上司:「え?どこ??北海道とか?」
・私:「いえその、、イギリスなんです。」
・上司:「そうか、、、そりゃあ、ちょっと、通勤が難しいね。」
どうせなら、ジューン・ブライド、と思ったんですが、後任が、なかなか見つからず、退職したのは、11月。ノベンバー・ブライドと、相成りました。
結婚レセプション@森の中のバーンの、スナップから。
8.イギリス生活、早々に、体調、絶不調に。
イギリスに来るのを契機に、生活、がらりと替えようと、考えました。大学出てから、かれこれ、28年間働いたし、、もう、フルタイムで、ぎちぎちに働くのは、いいかな、、と思ったんです。あと、今までとは、全く違う、何か、新しいこと、やりたいな、とも。
夫は、
「何か勉強したいことあったら、学費、出すから。」
なんて、言ってくれるんだけど、勉強したいことなんて、別に、無いし・・・。
強いて言えば、医学くらいかな、とは、思ったんですよ。何故か。でも、50歳から、医学部って、頭にも体にも、無理過ぎるだろうし、即刻、断念。
ガーデニング関係のクラスに、あれこれ行ったり、アロマテラピー入門クラスに行ったり、お気楽専業主婦的な、「50歳にして、自分探し」の生活を始めました。でも、没頭して取り組みたい、とか、次の仕事にしたい、とか、そう思えるものは、無くて・・・。
そうこうするうち、体調不良が、襲って来た!
・手の指の関節が痛い。
・胃も重くて、夜、寝つけない。
GP(家庭医)に行くんですが、そして、血液検査もするんですが、リューマチでもないし、ピロリ菌が住んでいる訳でもない。
そうなると、GPは、もう、どうしたら良いか判らない(そう、言われました)。この国では、「胃の不調=潰瘍薬」っていう、ワンパターンが普及しているのか、βブロッカーを処方して来たりっていう、トンチンカン!
製薬会社に居たので、それは違うでしょ、っていうくらいは、判るんだい!!と、そこでもう、医者は、見放しました。医者に見放されたんじゃなく、医者を見放した・・・。
イギリスの冬は、4時には既に、暗くなり、朝は、8時過ぎないと、明るくならない。
夢の新婚生活であるはずが、体調不良と、暗~い毎日に、心も暗くなる一方。嗚呼・・・。
今にして思えば、この「
不幸」があってこそ、今に至った、んですけれど、当時は、ふさぎこむ一方でした。
9.牛乳が犯人だったとは・・・。
自分自身で、治すしかないな、と思えど、どうしたら良いのか、見当つかない。
自然栄養セラピーのことを知っていたら、きっと、駆け込んだでしょうが、この時点では、そういうものがあるって、知りませんし。
そんな折、何かで聞き込んで、ふと、牛乳をやめてみたんです。
イギリスに来てから、早朝、朝、遅朝、昼、早午後、遅午後、夕方、夜・・・、一日に、何度も何度も、牛乳をた~~っぷり入れた、紅茶を飲むのが、すっかり習慣化していたので、毎日、かなりの量の牛乳を採っていました。それを、やめました。
するとすると・・・あらまあ、不思議!一日か二日後には、関節痛が、消えた!
びっくりしました。日本でも、もちろん、牛乳は、ごく普通に、飲んでました。特に、何とも無かったし。
目からコンタクトレンズ、じゃなくて、目からうろこ、とは、このこと!
念のため、牛乳をまた少し、飲んでみたら、やっぱり、関節痛になる。だから、牛乳が、関節痛の犯人、というのは、動かし難い事実、と判明。
一方、胃重は、相変わらずなんです。
10.そこからが、長かった!でも、ようやく、ここまで来ました。
「自分で何とかしないと、イギリスでは生き延びられない!」
という思いを強め、自分で体調を整える方法を、模索し始めました。文字通りの、暗中模索。
その時点でも、まだ、「自然栄養セラピー」の存在に、気づきませんでした。
その時に、知っていたら、こんなに回り道しなかったのに。
と、恨めしくもあるけれど、
いやいや、だからこそ、色んな方法を学べて、何が一番ピッタリ来るか、見出せたんだ。
と、受け止めているんですけれどね♪
で、その時、どうしたか。日本に居る時、トレンドに乗る、っていう意味合いから、だけ、ですけれど、マクロビ・カフェに、何度か行った事があるのを思い出し、
「そうだ、マクロビオティックを学べば良いかも。」と、何故か、思いついたんです。
そこから先が、なかなか、長かったです。紆余曲折が、ありました。
・・・そして、やっと、今に至りました。
その辺は、プロフィール・ページに書いてある通りです。
こうして思い返すと、今までの人生の中で、何回か、伏線があったことに、気付きます。
ずっと求めていたものが、自然な形で、降りてきた・・・それが、私にとっての、「自然栄養セラピー」、と受け止めざるを得ないんです。
後半の人生は、これを追究して行こう!
私のように、困り果てた人が、すぐ、見つけられるように、広めたい!
そんな、現在の心境です。
またまた、長々と、なってしまいました。最後まで読んで頂いて、本当に、有難うございます♪